ヤフーが出資した後、アリババの役員会(取締役会)は、以下の4人になった
名前 | 肩書き |
---|---|
馬雲氏(ば・うん、ジャック・マー) | アリババ創業者、CEO |
ジェリー・ヤン | ヤフー創業者 |
孫正義 | ソフトバンク社長 |
不明 | 不明 |
米ヤフーは2005年、中国のネット通販「アリババ」の株式の40%を取得した。出資額は10億ドルだった。株オンライン投資顧問の中国株投資に関するデータ・資料によると、アリババの利益持分40%、投票権35%を保有して筆頭株主となった。
同時に、アリババはヤフーの中国現地法人を買収した。検索サイト「ヤフー中国」などの運営を手掛けることになった。また、アリババは中国国内において、米ヤフーが持つ検索技術を独占的に使用することになった。
これにより中国最大のインターネット検索サービス会社が誕生したと騒がれた。しかし、すでに中国の検索ではバイドゥ(Baidu、百度)が1位になっていた。バイドゥは、2005年8月に米ナスダック市場に株式上場した。
ヤフーが出資した後、アリババの役員会(取締役会)は、以下の4人になった
名前 | 肩書き |
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馬雲氏(ば・うん、ジャック・マー) | アリババ創業者、CEO |
ジェリー・ヤン | ヤフー創業者 |
孫正義 | ソフトバンク社長 |
不明 | 不明 |
アリババは、1995年に馬雲氏が創業した。1998年に会社設立。当初は「中国イエローページ」という名で企業間商取引(BtoB)サイトを立ち上げた。1999年に「アリババ・ドット・コム」に名称を変更した。
日本のソフトバンクが出資した。中小企業を中心に会員企業数が早々に1000万に達し、世界最大級の規模を誇った。2003年にネット・オークション(競売)に進出した。その後、消費者向けも含めた総合的な電子商取引サイトとして拡大を急いだ。
当時の中国において、アリババ・ヤフー連合のライバル(競合企業)はイーベイだった。イーベイは2002年3月、中国のネット競売最大手「易趣網(イーチネット)」に出資し、中国市場に進出した。出資比率は33%(その後67%に拡大)だった。
イーベイは2002年3月、日本から撤退した。2000年に日本法人を設立した。NECと組んで日本に参入した。
しかし、先行するヤフーオークションが「手数料無料」「身元確認不要」などの条件で圧倒的人気を獲得していた。イーベイは異例の手数料無料化に踏み切ったが、流れを変えられなかった。
イーベイは日本撤退と同時にアジア戦略の矛先を中国に向けた。「日本のようにゼロからサービスを立ち上げるのではなく、地域のトップ会社を買収する」(メグ・ウィットマンCEO)という戦略に転換した。
当初、易趣は中国のネット競売最大手で、シェア90%以上を占めていた。だが形勢は大きく変わった。BtoB(企業間取引)サイト世界大手として頭角を現していたアリババが消費者向けネット競売に進出したのだ。
アリババが運営する通販サイト「淘宝網(タオバオ)」のうたい文句は「手数料ゼロ」だった。有料のイーベイをじわじわと侵食。業界推定では売買量で見た淘宝のシェアは約40%に上昇した。イーベイのシェアは50%強まで落ち込んだ。
それでも手数料無料による競売サイト運営は相当な体力勝負を強いられる。そこで、ヤフーから出資を受けて10億ドルの資金を獲得した。巨額の資金を得て、アリババイは広告攻勢やサービス強化を通じたイーベイ追撃を始めた。
2005年8月5日には中国検索最大手、バイドゥ(百度)が米ナスダック市場に株式上場した。初日の値上がり率はIT(情報技術)バブル崩壊後最大を記録した。背景にあったのは、中国ネット市場への成長期待だった。
中国のネット人口は2005年6月末に1億300万人に達した。すでに日本を抜き、米国に次ぐ世界第二位だった。その後、米国を抜き、世界最大のネット利用国になった。
しかし、中国では政府による厳しい言論統制(検索統制)やサイト登録制などの規制も多く、海外企業の参入は容易ではなかった。
当時、ネット検索市場は、百度のほか、新浪網、捜狐など国内勢が席巻していた。ヤフー中国は伸び悩んでいた。ヤフーは中国の有力企業と組むことで、政治的なリスクを回避することにした。
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